受講者の経営者や後継者それぞれの苦悩を理解する

iiful株式会社 代表取締役 石川聖子さん
            活性化コンサルタント/中小企業診断士

ーどのような企画で講演研修をされているのですか?
主に商工会、商工会議所といった商工団体で対象者は中小企業経営者や経営幹部が中心となります。内容としては経営やマーケティングなどです。具体的には、創業や事業承継とか、地域活性プロジェクトや特産品開発、6次産業化など地域活性のテーマも多いですね。

石川聖子さん

ー食品メーカから経営コンサルタントに転身した経緯を教えていただけますか?
大学を卒業後、食品メーカーに就職して社内初の女性営業職に配属されました。日々、コンサルティング営業や商品開発を担当として量販店バイヤーからのシビアな要望や、十人十色といわれる消費者ニーズに応えるべく試作開発を繰り返していました。当時は女性は結婚したら退職という社風があったのですが、私は年齢を重ねても活躍できる仕事をしたいと考えていました。そのころ、書店で雑誌『ケイコとマナブ』を立ち読みして、中小企業診断士を知りました。その時は詳しいことは知らなかったのですが​、​大学でマーケティングを学んだこともあり、中小企業診断士の資格に挑戦することにしました。食品メーカーで勤務しながらの勉強できつかったですが、当時の仕事もあとになっては貴重な経験になりました。いまの現場志向のベースとなっていますので​、​無駄なキャリアはないと思います。

95年阪神淡路大震災で生まれ育った街の変わり果てた惨状を目の当たりにして​、​人生観が大きく変わりました。さらに「仕事を通じて誰かのお役に立ちたい」という思いが強くなり、数年間の勉強を経て中小企業診断士の資格を取得することができました。そして2000年、資格取得を機に経営コンサルタント会社に転職しました。

初登壇のテーマは「財務」…書店の財務の棚を全部読む勢いで勉強し倒した…

ーその後、初登壇はどのようにやってきたのですか?
入社して半年経ったころ経営コンサルタント会社の代表より、思いもかけず登壇チャンスの声がかかりました。入社間もない立場で答えは「イエス」のみです。「できる or できない」の思考はなく「やる or やらない」。「やりたい or やりたくない」はまだ先のことと考えました。初登壇は、創業を目指す方を対象に商工会が主催した創業塾の1コマで、テーマは財務でした。ただ、財務は診断士受験時代に一番苦手だった科目なので、書店の財務の棚を全部読む勢いで勉強し倒して準備万端でした。しかし、事前リハーサルで代表から即ダメ出しを受けました。指摘は「自分ごとで語れ」「つかみが大事」ということ…。今なら代表の意図はわかりますが、当時は理解できませんでした。しかし代表の指示なので内容を大幅に見直して臨みました。結果、そのダメ出しのおかげで、初登壇はうまくいき、自信につながりました。
最初のターニングポイントは、このゼロからイチのチャンスがあったことです。そして、まだキャリアが浅かった私が百戦錬磨の経営者を対象として登壇するためには、やはり中小企業診断士という資格があったことが追い風になったと思います。ただし、それは単なる入り口に過ぎず、その後は実力が全てです。資格に頼りすぎないことも大事です。

石川聖子 × プロ講師ドットコム代表 安宅 仁

やれることをやり尽くし、そこまですれば、当日は度胸が据わります。

ー予期せず若くして講師デビューされることになったようですが最初のころ講師で苦労したことはありますか?
初めての登壇はうまくいったのですが、2回目は最悪の大失敗でした。壇上でまさに頭が真っ白とはこの事かと思いました。
そこから、講義内容だけではなくて、間合いや受講生の反応を気にするようになりました。そのころは代表の講演にプライベートでも参加したり内容を録音したテープを聴き続けていました。まずは自己流ではなく徹底的に真似る事からはじめました。
当初は登壇するために、2時間構成に2時間のリハーサルを何度もしていたり、本屋でセミナーテーマと類似する内容の書籍を手当たり次第に購入していました。
ただ、やれることをやり尽くし、そこまですれば、当日は度胸が据わります。

もちろん講師の仕事だけではなく他のコンサルティング業務もあり、かなりタイトなスケジュールでした。それでも続けられた、続けたいと思ったのは、セミナーがやりがいのある仕事だったからです。中小企業診断士を目指した当初の「仕事を通じて誰かのお役に立ちたい」という思いをストレートに体感できたからでしょう。
この駆け出しの頃に安宅さんからご依頼いただいた某・商工会連合会での「創業塾」は印象深い登壇の一つです終了後に受講生から頂いた手紙で「人生のターニグポイントになりました」という言葉をいただき、講師業のやりがいと重みを感じました。

予算の大本となる国(経済産業省中小企業庁)の主旨を理解することが重要です。

ーその後、講師とコンサルタントの両輪でご活躍されていますが、継続的に依頼が来る要因は何ですか?
20代で転職し、30歳代で自分の名前で仕事を引き受けるようになりたいと思っていたので「声がかかる=自分が求められている=お役に立ちたい」という意識で目の前の依頼に対して誠心誠意応えるようにしてきました。結果、一度をした方から別の仕事の依頼や紹介を頂いたり、また会場に来ていた方から相談を受けたり…とアメーバー的に広がっていった印象です。

また、講師業以外にも商工団体での仕事が増えると、それぞれの立場の人が何を求めているのかが分かるようになりました。商工団体で活躍するためには担当窓口の経営指導員、受講者の経営者や後継者それぞれの苦悩、予算の大本となる国(経済産業省中小企業庁)の主旨を理解することが重要です。事例で言えば「会社法改正」の時に、経営者視点の内容でつくりあげたことでご好評いただき口コミが広がり、全国行脚することになりました。
「難しいことを解りやすく!」をモットーとして受講生の納得感が高まり、行動に結びつく実践的な内容を心掛けています。経営者は評論家や学生ではないので、受講する時間から何を得てもらえるのかという点を大事にしています。

あと、当たり前のことですが、レジュメの〆切や待ち合わせ場所・時間など基本の約束を必ず守ることは、信頼関係を構築するうえでとても大切です。

一方通行ではなく、相手が何を求めているのか想像力が必要です。

ー最後に士業で講師をされたい方に向けてメッセージをお願いします。
メッセージとはおこがましいですが、ネットなどで情報があふれている時代に、講師業は人が人へ直接伝えることに意義があると思います。そのためには、こちらからの一方通行ではなく、相手が何を求めているのかの想像力が必要です。主催者・参加者それぞれの立場で、何を目的にされているのか、実践的な行動につながるような内容を意識することが大切です。

それから、健康ですね。講師業は移動時間も長かったり、体力もいりますし、体調を崩して登壇に穴をあけることは絶対にできません。健康管理は本当に重要です。

ー石川さん貴重なお話ありがとうございました。
初心を思い出すいい機会になりました。私も初心を忘れずに「すべてのビジネスは誰かを笑顔にする」という想いのもと、経営者の人生に、地域の未来に、笑顔を咲かせるお手伝いをしていきたいと思います。

石川聖子さん

iiful株式会社 代表取締役 石川聖子

神戸市出身。大学を卒業後、食品メーカーに就職。社内初の女性営業職としてコンサルティング営業や商品開発を担当。量販店バイヤーからのシビアな要望や、十人十色といわれる消費者ニーズに応えるべく試作開発を繰り返した経験が今の原点であり、現場思考のベースとなっている。
その後、阪神淡路大震災で生まれ育った街の変わり果てた惨状を目の当たりにして人生観が大きく変わり、「仕事を通じて誰かのお役に立ちたい」という思いから、中小企業診断士の資格取得。それを機に経営コンサルタント会社へ移り、実績を重ねて2013年に独立。
現在までに、女性の感性を生かした独自の視点と実践的できめ細やかなコーディネート力で、地域ブランドの育成や地域資源を活用した新事業の立ち上げ支援など、様々なプロジェクトを手がける。また、創業や経営革新をはじめ、マーケティングやマネジメントをテーマにしたセミナーの講師を全国各地で務めている。

取材後記

常に顧客視点で全力で取り組む姿勢が伝わるインタビューになりました。講師業だけでなくコンサルタントとして現場のハードワークをこなしながらインプット続けてこられたことが強みになっているのだと感じました。ここで石川さんの「声がかかる=自分が求められている=お役に立ちたい」のスタンスを貫いているエピソードをひとつ紹介します。某・商工会連合会の経営指導員研修で当日朝、大雨で新幹線が止まり予定していた講師が来れない事態が起きました。急遽、石川さんに連絡して「今すぐ会場に向かって」という無茶ぶりに躊躇なく「わかりました」と応えてくれました。これはなかなかできる事ではありません。今回インタビューして「声がかかる=自分が求められている=お役に立ちたい」を伺い納得しました。(インタビュアー/文:安宅 仁)