経済のリーダー商工会議所
商工会議所・商工会専門の担当者として経験知を積む
2000年前後に商工会議所、商工会の職員だった方へ
私(安宅)は1990年代半ばから全国各地の商工会議所、商工会に数多くのセミナーをご紹介してきました。
特に2000年代は地域経済を講演研修でサポートするチームのリーダーとして、当時の事務局長様、経営指導員様、補助員様などには、かわいがっていただきました。
当時はメールではなく、電話か訪問でしたので、何度も面談させていただきましたのでご記憶に残っていた嬉しいです。安宅(アタギ)という特徴ある名前なので記憶の片隅に残っているのではないでしょうか…
商工会議所、商工会で膨大な数の企画支援
あの頃は補助金もいまよりも潤沢でしたので、商工会さんも単独で多くの企画をされていました。私も担当として最高値で年間550案件くらいの企画に講師を派遣していました。当然、繁忙期と閑散期がありますので、多い日は一日5~10案件、最高で1日17件実施という日もありました。この時ばかりは全部うまくいくか心配で眠れませんでした。
講演研修で大切なことはすべて「商工会議所、商工会」から学んだ
商工会議所、商工会の皆様にはたくさんの応援をいただきました
正直に言いますと、それだけの数を担当していると、残念なセミナーもありました。たいせつな会合なのに推薦した講師の内容がズレていて2時間怒鳴り続けられてこともあります。講師が来賓をイジり過ぎで怒って帰ってしまい出入禁止になったこともあります。不思議なものでそんなことがあった指導員さんほど、後に親しくなりたくさんの仕事をまわしてくれました。
私自身、この数年に大量の経験知を持ったことで成長できました。
その後、企業研修に役割を変えましたが、いまでも自分の地盤を作ったのは商工会議所さん、商工会さんであり、当時の事務局長さん、経営指導員さん、補助員さんだと思っています。
商工会議所、商工会の「経営改善普及事業」の支援
当時は親会、女性部、青年部、各部会の講習会から、創業塾、第二創業塾、女性創業塾、経営革新塾、事業承継セミナー、倒産防止セミナーなど多様な企画に携わらしていただき受講者以上に学んだかもしれません。
「安宅(あたぎ)」は覚えにくいが、一度覚えたら忘れない
あるエージェントの方から、北陸の某商工会の事務局長さんが「安宅さん元気か」と言ってくれていたと聞きました。その局長は当時は経営指導員でたくさんの仕事をいただいた方でした。特徴のある名前ですので最初はなかなか覚えていただけませんが、一度記憶いただけると数十年ぶりでも覚えてくれている方が多いようです。またお世話になった皆さんとお話がしたいと思いました。
是非、またお役に立てることがあればお手伝いさせていただければ嬉しい限りです。
この投稿を読んで、安宅と思い出話しようという方がいらっしゃればお声かけいただければ幸いです。